著者らの論説(DolanおよびRowley(2009))に対するKundiの反論(2009)に、再反論したものである。Kundi は予防原則の適用を主張しているのに対し、著者らは、適用に際しては少なくとも「懸念」は「一見して妥当と思える」ものであるべきである(科学的知識と技術の倫理に関する世界委員会2005)として、欧州第一審裁判所の所見等を例証に論述している。著者の主張は以下のように要約される。 著者らの先の論説で参照した多くの科学的レビューの骨子は、携帯電話に関する健康データが予防原則適用に踏み切るに十分とは判断されていないとしている。著者らは、予防原則の適用に関する決定が科学者のみによって下されるべきではないということは認める。彼らには「民主的合法性も政治的責任も無い」からである(Pfizer Animal Health SA対欧州連合理事会2002)。しかし、政府は、科学的助言を軽視したり大衆受けする政策を採用したりして、「根拠の無い公衆の恐怖」の犠牲になるべきではない(Telstra Corporation Limited対ホーンズビー州議会2006)。著者らは先の論説の結論で、公衆の懸念への対処の効果を上げるために政府と産業界ができる事は多数あり、それは現在進行中の研究の支援であり、公衆のための教育・情報プログラムの実施などであることを述べた。公衆は、十分に情報が与えられれば、自身が望むところに従って、自身で個人的な予防措置を効果的にとることができる。避けなければいけないのは、公衆を安心させるために、予防原則を理由付けにしたような措置をとる性急さである。なぜなら、実はこれが公衆の懸念をさらに大きくすることがわかっているからである(WeidemannおよびSchutz 2005)。
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